かたちないものもいつかは

お久しぶりでござんす、たこすけでございます。

 

今日はふと思ったことについて。

資本主義社会についてふと思ったことについて。ひねくれもんの世迷い言です、蛸なりに。

なんのことはない、資本主義社会も永遠に続くわけではないのだなぁ、と思っただけんですけどね。そろそろ終盤なのではないでしょうか、私は経済学や社会学を納めたわけではないのですが、私の肌感覚だとそろそろ次のレジームに移ろう頃なのではないだろうかと思うのです。

とかいいつつぶっちゃけまだしばらくは続くと思うんですけどね。おそらく私が死ぬまでに変わることはない、と思います。運動しているものが方向を変えるにはそれなりの力が必要ですよね、慣性がありますから。それでも、多くの人が資本主義的幸せに向かっているのならば、一人(一匹)ぐらい反対の方向を向いていても良いと思うのですよ。みんながやっているから私が今更することもないかななんてね。

そんなわけで私は丘に上がったわけでございます。みんな海で暮らすんだから私は丘で暮らしてみようと思った、とこう言うわけです。いいじゃないはみ出しても私がいなくても海で暮らす蛸はごまんといるのだから。それこそレッドオーシャンですよね。そしてこの丘はブルーオーシャンということ丘なのにね。

まあ何がいいたいかと申しますと、蛸なりに社会の隙間に生きる場所を見つけて幸せであるということです。

 

たこしょうかい

お初にお目にかかります、たこです。
私はもともと瀬戸内海出身なのですが、たまたま拾った某浮世絵師の作品に感銘を受け、着の身着のまま身一つで蛸壺に乗り込んだのでこざいます。さて、人界に入り込んだはいいがどうやっておまんま食べていこうということになりまして、何しろこんな見てくれですから、蛸足を棒のようにして就職活動しましたが、雇い手なんてありゃしません。仕方がないので最近流行りのあふぃりえいとなるものに触手を出して見ようかと思いまして。幸い八本も手足がありますので鍵盤弾くのはわけありません。これでいくらかお銭がはいればカニカマでもってなんとか暮らしていけるのですが。にっちもさっちもいかなくなれば魚屋に身売りするしかございません。世の中一寸先は蛸墨のごとき闇、果ては寿司屋かたこ焼きか。どうせならおもしろおかしく生きていこうじゃありませんか。ねぇ。